技術的なネットワークの誕生と成長は一般的ではないため、ここでは「日本」での「私が体験した」コンピュータネットワーク(以後長いので単純に「ネットワーク」と書きます)について書き記します。
その前に・・・コミュニケーションの進化
ここでも、いきなりネットワーク上のソーシャル性を掘り下げるのではなく、まずは「コミュニケーション」と「ソーシャル性」について自分なりに少し考察してみようと思います。
これまでも触れてきましたが、ある時代以前において、一般的なコミュニケーションは「同じ場所」「同じ時間」で行うことが原則でした。
ところが、例えば「掲示板」という手法が出現してからは、「同じ時間」を共有しなくてもその場所に行った人に時間を超えて伝達することが出来るようになりました。また「手紙」を用いれば、「同じ時間」だけでなく「同じ場所」を共有することなく、相手に自分の発信したい内容を届けることが出来ます。同様に「出版(印刷)」により、「同じ場所」「同じ時間」を超えて、不特定多数に情報を共有することも出来ます。
そして、インターネットの出現以降、コミュニケーションはより自由に、より簡単に進化していきます。例えば「電子メール」を利用すれば、「同じ場所」「同じ時間」の共有は不要です。「電子掲示板」「ホームページ」についても、同じアドレス(URL)指定は必要ですが、実態として「同じ場所」「同じ時間」を選ばず、不特定多数に情報共有が可能です。
ちょっとまとめてみましょう。
同じ場所 | 同じ時間 | 不特定多数 | 補足 | |
---|---|---|---|---|
対面会話 | 必須 | 必須 | 可能 | 原則記録が残らない |
掲示板 | 必須 | 不要 | 可能 | |
手紙 | 不要 | 不要 | 原則1人 | 保存が大変 |
出版 | 不要 | 不要 | 可能 | 高コスト |
電子メール | 不要 | 不要 | 原則1人 | 保存が楽 |
電子掲示板・ホームページ | 不要※同じURLは必要 | 不要 | 可能 | 比較的容易 |
このように、社会的なつながり、つまり「ソーシャルネットワーク」を通じたコミュニケーションは時間とともに様々な方法が出現し、インターネットを通じてより多くの人とのコミュニケーションが簡単に実現出来るように発達してきたのです。
何故コミュニケーションを求めるのか──人間の欲求
では、そもそも人は何故他人とコミュニケーションを取ろうとしたり、こうしたコミュニケーションにまつわる制約を取り払う努力、創意工夫を重ねてきたのでしょうか。ちょっと難しい部分もありますが、考察を進めていきましょう。
アメリカの心理学者マズローは、人間が何か行動する際の基本欲求を低い次元から順に「生理的欲求(Physiological)」「安全欲求(Safety)」「所属欲求(Love/Belonging)」「承認欲求(Esteem)」「自己実現欲求(Self-Actualization)」と5段階に分類しています。
“Maslow’s hierarchy of needs” by J. Finkelstein – I created this work using Inkscape.. Licensed under CC 表示-継承 3.0 via ウィキメディア・コモンズ.
例えば「生理的欲求」は「食欲」「性欲」「睡眠欲」を指します。「安全欲求」は、生きていく上で危険にさらされたくない、という欲求です。「所属欲求」は、家庭や地域、学校や会社、サークルなどのグループ、国家など、様々なレベルで「いずれかの、または複数の集団に所属したい」という欲求です。どこにも属さない一人ぼっちという状態は人間にとって大きなストレスになるようです。「承認欲求」は、「所属欲求」が満たされた上で、自分が所属する集団の誰かに認められたい、褒められたいといった欲求です。「自己実現欲求」は、自分の能力を最大限に引き出し、様々な可能性を実現していきたいという欲求です。
人はこれらの欲求を段階的に満たしていくことで、最終的には「自己実現欲求」が全ての原動力になるとされています。反対に、低次の欲求ほど人は抗いにくいと言えます。生理的欲求は人間が生きていく上で絶対必要ですし、安全でないところで創造的活動は多くの人にとって厳しいものです。
そして、「生理的欲求」「安全欲求」「所属欲求」「承認欲求」の4段階をマズローは全て「低次」と位置付けており、最終的に「自己実現欲求」に到達することが人間の進化の本質だとしています。
とすると、仮に人々が「生存」「安全」がある程度保障された環境にいると仮定すれば、「所属欲求」「承認欲求」といった「社会的欲求」を満たすことが、最初の大変強い欲求として働くことになります。そして、「自己実現欲求」まで到達出来る人は実際のところ少ないため、人々は「社会的欲求」を生涯かけて追い求めることになるのです。
社会的欲求を充足させるために
では、社会的欲求とは実際にどのような形で顕れてくるのでしょうか。「所属欲求」は現代日本においては、大多数の人にとってさほど難しいものではありません。例えば「学校に通う」「働きに出る」「地域の活動に参加する」といった現実的な行動や、「mixiに参加する」「2ちゃんねるに書き込む」といったネットワーク上の行動でも満たすことが出来ます。
では、「承認欲求」はどうでしょうか。集団での認められ方は様々ありますが、コミュニケーションという立場から考えると、低い順にこんなことがありそうです。
- 集団の中で存在を知られている
- 出来れば多くの人に知っていて欲しい
- 周囲の人に自分の言動が認識されている
- 出来れば注目されたい
- 自分の言動に誰かが反応する
- 出来れば肯定であってほしい
- 自分の言動を誰かに褒めてもらいたい
- 出来れば愛され、尊敬されたい
- 自分の言動に何らかの報酬が欲しい
- 出来ればたくさんお金が欲しい
- 出来れば多くの人の人望が欲しい
- 出来れば高い名誉が欲しい、偉くなりたい
といった感じでしょうか。こうしたことを満たされる集団に人は存在していたいと考え、また存在し続けるためにはある程度の自己犠牲も已む無しと考えるのではないかと思います。
・・・だいぶ考えるヒントが出てきましたね。
コンピュータネットワークのはじまり
さて、ここからはネットワークに話を戻します。
私が初めてネットワークを意識したのは、「マイコンによるデータ通信」でした。中学生の頃(1979年)に通っていたとある塾の先生がマイコン大好き人で、Apple-IIに音響カプラを付けて通信するところを見せて頂きました。四半世紀以上前のことですが、それは当時としては何とも先進的でかっこいい姿でした。だって、それまでカセットテープで「ピーヒョロロロ」という形でしかデータのやり取りを見ていなかった自分にとって、離れた場所のマイコン同士がデータ通信出来るなんて、夢のような世界だったのです。
そして数年後、友人宅でのパソコン通信との出会いは、正に衝撃的でした。X68000で草の根BBS(CAT-NETなど)に接続し、掲示板に書き込むと、時間差をもって返事が返ってくるという姿は、何とも言えない感動がありました。
こうしたことから自分も1200bps程度のモデムを入手し、勉強や仕事をしている以外はパソコン通信にふける毎日を過ごしていました。何せ、離れて顔も見えない人と様々なコミュニケーションが出来るのです。興奮しない訳がありません。そのうち、顔も見たこともない方を好きになるという「ネット恋愛」なども経験しました。
社会的ネットワークにおける欲求のはたらき
パソコン通信で経験した「アレ」は、一体何だったのでしょうか。
ネットワーク上でのアクションは、自分の都合よい「場所」と「時間」に「不特定多数」に対して「好きなアクション(書き込み、アップロード)を起こす」ものです。相手あってのアクションではありません。通常のコミュニケーションは、「同じ時間」「同じ場所」を共有する「特定の誰か」に対して起こすアクションです。しかも、そのアクション自体は相手との関係により制約がつきものです。
このアクションに対し、何の反応もないことも多いですが、「誰か」がその人の都合良い「場所」「時間」に反応してくれる場合があります。発信者は、自分のアクションに反応がないときは「さびしい」、反応があるときは「嬉しい」と感じます(嬉しいかどうかは、反応の内容によりますが)。そして、反応があるとその反応に更に呼応することが多いようです。
実際、こうした反応の反復は日常社会の交流と本質的には同じです。違いは「場所」「時間」「相手が知っている人かどうか関係ない」という点でしょう。
言うなれば、これが「ネットワーク上の仮想的な社会的コミュニケーション」と言えると思います。これ自体は、町の掲示板や雑誌投稿など近いものもあります。しかし、パソコン通信を行う環境を整えるという障壁を超えさえすれば、そうしたものと比較してパソコン通信での「発信」は大変お気軽に行え、それに対する呼応も同様と言えます。
そして、これらは前述のマズローの欲求に当てはめてみると、理由は分かりやすいですね。「パソコン通信」「草の根BBS」という「集団」に所属し、その中での自分の発言が集団の中でどのように受け止められるのか、そして他人からどのように評価されるかを大変気にするといった流れに沿っていたのだと考えられます。
これは、「パソコン通信」のみならずインターネット上でのコミュニケーションにもほぼそのまま当てはまると思います。mixiなどのSNSでの「日記を書く」「ボイスを書く」「コミュニティに所属する」といったアクションも、2ちゃんねるにおけるカキコにしても、同じように「他人に認められたい」という欲求に起因するものでしょう。
そして、普通にカキコしてもなかなか反応が得られない、つまり「承認欲求」が満たされない場合、集団から反応を得るため・・・つまり欲求を満たすために、本来のコミュニケーション手段からは外れた方法を用いる人も出てきます。
例えば、集団の中で奇異と捉えられる行為を行う、「荒らし」と呼ばれる行為が上げられます。これは、例えば人を傷つける発言や、人が反論したくなるような低俗な発言を行い、それに対し集団内の多くの人が反応することで承認欲求を満たそうとするものです。また、嘘や金銭的な糸口で人々から一時的な注目を集めようとする行為もこれに類するものと考えられます。
こうした行為は、その人間の本質どうこうというよりも、低次の「欲求」が満たされないことから欲求を満たすことに縛られてしまっているケースが多い気がします。
ソーシャル性のまとめ
上記のように、人間には様々な欲求があり、低次の欲求ほど抗えないということが分かりました。そして、「所属欲求」「承認欲求」などの「社会的欲求」は、インターネット上でも大きな意味と力を持っているようです。そして多くの場合、ある程度欲求が満たされたとしても、同じ次元の更に高い欲求を満たそうとする人が多いと思われます。
近年活発に広がりを見せているソーシャルネットワークは、こうした人々のあくなき欲求を上手に刺激することで、急速に発展していると言えるでしょう。
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