「あいつばっかりチャンスがきてズルい」という人に『チャンス』が回ってこないワケ

投稿者: | 2020年5月13日

若い頃、『チャンス』というものは、自分のことを良く見てくれている『誰か』が齎(もたら)してくれるもの、という認識をしてしました。何故なら、実際に自分にとって過分なチャンスを与えて下さる方がいらっしゃったからです。

しかしながら、年を重ね半世紀以上生きてみると、世の中に『受動的なチャンス』なんてものはほとんどない、ということを認識せざるを得ません。もっと言うと、実は『チャンス』は、いつでも自分たちの周りにゴロゴロしているものだ、と感じています。

じゃあ何故自分には『チャンス』が巡ってこないのかというと、それは「チャンスを拾っていないから」なのです。重要なのは、『チャンス』は『拾うかどうか』が鍵なのです。

ここでポイントなのは、『チャンス』を掴んだ瞬間から「これがチャンスだ」と理解している人は、実際あまり多くない、ということです。後で振り返ってみたときに「ああ、あれがチャンスだったんだ」という、『結果論』的なものなのではないか、と思います。

つまり、「あの人にはよくチャンスが回ってくるな」と思われる人は、実はこうした周囲にゴロゴロしている『チャンス』の中から、自分の特性や将来性などを考慮して『有望なチャンス』を拾い上げているだけなのかも知れません。そして、そう言う人はおそらく空振りも多いと思いますが、能動的にチャンスを創り出している、とも言えます。

逆に、「チャンスってなかなか来ない」「誰も私の能力を理解していない」「あの人ばかりイイ話が行ってズルい」という人には、言葉通りチャンスは来ないでしょう。何故なら、その人が待っているのは『自分を良く見てくれている人がくれる、成功が約束された機会』であり、本来の意味での『チャンス』ではないからです。

冒頭でお話した、自分にとって「チャンスを与えて下さる方」というのも、他にも選択肢はあった中、その方々のお誘いを私自身が選んだ結果、今につながる重要な経験を積むような選択だった、ということなのだと思います。

「果報は寝て待て」という言葉は、なにもずっと寝ていればいつかは『チャンス』が来る、ということではなく、自分にとって命を懸けられる『チャンス』がくるまでは慎重であるべき、という意味なのかも知れませんね。

(了)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA